価値観を手放すことが、成長に向けた一歩

「人の意見は、過去の経験やそこでの感情から生まれた価値観、例えるなら譲れない想いが多分に影響している」と、対話とリフレクションの第一人者である熊平美香さんがおっしゃっていた。
確かに、自分自身の過去を思い返すと、物事を見定めるときに必ず想定が加わってしまっているように思う。どんなに客観的になろうとしても感情が邪魔をしてしまう。そしてその意見の尺度は、案外自分自身では曲げられず、感情に支配されている感覚が多いのだ。多分それは、過去の価値観を否定されたくないというアンコントローラブルな目的設定を、脳が自動でスイッチさせているのだろう。
経験や価値観は、感情に紐づいている
意見があって、それは経験に紐づいている。そしてその経験が意見を作り、さらには、経験によって価値観が生まれ、意見につながる。ここまで整理できると、とてもシンプルなことなのだが、いざ意見を求められると、根底にある価値観が自身の成長を邪魔していると感じることが多々あった。それは、自分の意見を変えられないとき、いわば自分の感情に支配されているときだった。
自分は、偏見の塊だったと悟った出発点
当時、感情に支配されていると気づけたのは、自分の力ではなく、身近に存在する当社経営陣である前田徹也氏から連日のように続いた指摘のおかげだ。
今でこそ内省に似た感覚をつかみ始めているが、当時は、他者からの助言や指摘に対して、自身を守ろうとする価値観や感情が聞こうとする耳を塞いでしまっていた。例えば、自身の経験やスキルでは正確に経営判断できない事象において、周囲への相談を疎かにして単独で意思決定してしまうことがあったのだ。
自分の根底にある価値観は、誰かの役に立てる存在でありたいということ。それができないときに、自分は役に立っていないと思われたくない感情が、自身を大きく見せようとし、取り繕ってしまう感情と行動に支配されていたのだ。
前田氏からの助言がなければ、感情を捨てて、価値観を軌道修正することができなかったかもしれないと思う。
価値観を手放すことができる人が成長し続けられる
時代や働き方が、大きくトランスフォームしている今、過去の価値観を手離すことは、次への半歩を踏み出すうえで、とても重要な位置付けになるだろう。ただし、それは価値観をすべて変えるということではなく、自分の考えを客観的に見て過去の前例を正当化するということでもなく、経験を通して新しい考え方を生み出しながら行動も変えられることだ。成長実感が不足している人には、ぜひ、自らの価値観を手離すことにチャレンジして欲しい。
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